森のバロック・南方熊楠 マトの書感想文:book review-04


森のバロック・南方熊楠(1)
★禁!・・・無断転載・流用。


■1941年12月29日南方熊楠は75歳でその生涯を故郷、和歌山で閉じた。その21日前に国の根幹、将来を大きく左右する太平洋戦争が日本海軍のハワイ奇襲攻撃で開始されたのです。彼の死因が萎縮腎に黄疸という病状から、重病の彼に開戦の知らせがどのように伝わり、彼がどのような反応? 感慨、感想を持っていたのか不明だ。1931年昭和6年9月18日に勃発した満州事変、にも時節への感想記録は存在しない。これも、事変2年前の1929年6月に熊楠63歳の時、鶴見和子著「南方熊楠」によれば、和歌山・田辺湾神島に昭和天皇を迎え戦艦 長門艦上で紀州の植物について天皇へ進講し、粘菌標品110種を進献したという記述がある。また1930年に神島が県の天然記念物に指定され、彼が神島の植物等を調査し国の天然記念物指定へと文部省へ申請したとされている。今から77年も前 に環境保全・エコロギー(エコロジー)の学問的意義と重要さを認識した上で環境保護、保全の行動を起こしていた先見性に驚愕するが、それ以上にあの世界大戦に突入する時勢について、知の巨人で神仙?熊楠の意見や考察感想を是非知りたいが、書簡や記録には今のところそれらしきものは無いようだ。物事の本質を喝破する熊楠であれば、国家、外交の一大事、人間社会の象徴事象には必ず見識があったと思うが、あまりの事に?語るに落ちるの心境だったのだろうか?鶴見の「南方熊楠」には、 この頃、息子の熊弥の病気や弟の常楠との遺産に係わる確執などの些事?に苦悩していた様子などは記されている。

■だが、それでも何故か熊楠の没する21日前の日米開戦が契機となり、第二次世界大戦が拡大勃発し、その結果の近代兵器の登場、原子爆弾投下や敗戦、そして大戦の影響は後の日本を、世界を、根底から解体変革した。この世界は熊楠の死とともに、何か古くからの大切なものを喪失し、代わって新たな存在をこの世に顕在させたような感じがしてならない。、そして、熊楠の没後66年の2007年、地球規模で自然・気象や社会の諸現象が異常シグナルを点滅させる今、それは益々存在の証のみならず多大で深刻な影響を世界の奥深くへと浸透させていると思われるのだ。
私が博物・生物・民族学者としての南方熊楠の名を、柳田国男と共に知ったのは学生時代だが、熊楠についての本を本格的に読んだのは、鶴見和子著の「南方熊楠」−地球志向の比較学ー講談社学術文庫/1988年刊が最初であった。今から19年前になる、読書契機はやはり、当時読んだ中沢新一の著作関連での紹介からであった。 本題「森のバロック」の読書感想の前に、この鶴見「熊楠」について簡単に以下を記す。

■鶴見和子著の「南方熊楠」では伝記としての熊楠の足跡を知り、明治青年の行動力、気概、鮮明で卓越した先見性に本当に感心する。あの明治という時代は熊楠や漱石などの傑物、人材をこの世に生み出す今とは異なる豊かな知的土壌を持っていたのだろうか?20歳で横浜からサンフランシスコへ渡りミシガン州立農学校の試験を受け合格、入学、寄宿舎でアメリカ人学生からの言いがかりでトラブルや裁判などから罪を一人で引き受けて、放校。フロリダジャクソンヴィルに移住、地衣類や菌類の採集。中国人の牛肉屋でアルバイトをしながら生計をたて、25歳でキューバへ曲馬団に加わり生計を維持しながら、ハイチ、ベネゼラ、ジャマイカ島などで動植物を採集、標本作りなどを行い、26歳でジャクソンビルからロンドンへ、大英博物館の東洋関連の資料整理の仕事をしながら大英博物館にて勉学「ネイチヤー」に「東洋の星座」ほかを投稿し掲載される。27歳から31歳の間に留学中の土宜法竜(真言僧侶:後の高野山管長)や孫文と出会い、博物館での紛争などを経て、34歳にロンドンから故郷の和歌山へ帰国・・・・田辺那智の森で在野アマチュア?として生物学、民族学、博物学など各分野で「雑誌ネイチャー」への論文多数投稿、掲載、研究を継続した。
熊楠マンダラの思想世界は西洋哲学や近代科学万能世界観への冷静な分析批判から、その限界を超えて、更にあらゆる不思議、物事の本質、構造へ熊楠の直観からのユニークな知的、思考、挑戦であった。これについては中沢氏「森のバロック」感想で具体的に記す。
ともかく、熊楠人生前半の足跡をたどるだけでも青春冒険譚である。100年も時代を先行した知性溢れ、気概ある日本青年のヒッピー?行脚だ、しかもただのヒッピーではなく、権威あるネイチャー誌に論文を刻み、明確な存在証明を残している。近いうちに、この傑物偉人である青春放浪の「熊楠伝記」が映像や文学作品として今日の閉塞ニート、引きこもりの気力減退?の若者達に元気な希望を、パワーを与えてくれることを願う、それは、生きることの・・・不思議を探る、未知に挑むことの心躍る命の証、炎を与えてくれる筈だから。

■中沢新一の「森のバロック」を読んだのは2006年で、中沢新一の著作の中では一番新しい。1992年に「森のバロック」が刊行されてから、昨年講談社学術文庫となり初めて、手に取り読んでみた。この本の前にすでに「対称性人類学」カイエ・ソバージュを読了してしまったのだが、著者の文庫版あとがきによれば「森のバロック」の完成後、十年以上かけてそれを『対称性人類学』の考えに発展させた・・とあるから、小生は「森のバロック」を読まずに彼の熟成に十年を要した「対称性人類学」(講談社選書メチエ2004年)をプロセス無視で先読みしたことになる、理解の深さも中途半端であったと思うが、「対称性」なる概念が非対称概念による無意識の抑圧、均一同質化のグローバル経済に対する・・メビウスの環、クラインボトルのごとき「全体と部分が一致」するメタ次元の東洋智、ポトラッチ純粋贈与、利他の普遍経済・曼荼羅である事を読み取ったつもりだった・・・鶴見和子氏の「南方熊楠」を既に読んでいたので、この著作を読み漏らしていた?のかもしれない。中沢熊楠の感想が新鮮なうちにそれを述べてみたい。

■「森のバロック」第一章の「熊楠という名前」の中で中沢はトーテミズムの生命学を語る。私はこのトーテミズムで1991年に劇場公開されたケビンコスナー監督・主演の映画「ダンス・ウイズ・ウルブス」を思い出した。
1863年、南北戦争の英雄である、主演のコスナー演じるジョン・ダンバーは、最奥西部のダコタ州の砦を勤務地が選べる殊勲者として選択する。荒涼とした砂漠荒野で愛馬とトウー・ソックスと名づけた野生の狼と不思議に充実した生活をするが、やがて馬を盗みに来たインディアンを追い払ったことからネイティブインディアンとの交流が始まり、インディアンに育てられた白人女性と恋に落ち入り、インディアン部族一員として迫害やバファロー絶滅に立ち向かう。合衆国フロンティアーの影の部分と自然破壊への警鐘映画として当時の郷愁とともに印象に残る作品だった。
ジョン・ダンパーが仲間として受け入れられたネイティブから貰った名前が『狼と踊る男』:「ダンス・ウイズ・ウルブス」である。ネイティブの個人に与えられる名前は・・『拳を握ってたつ女』『蹴る鳥』『風になびく髪』など・・自然の活動、現象、多様性との間に密接な絆を持つ重要な意味を、命を与える標しとして個人に与えられたのだ。トーテミズムは未開社会における実存哲学であり、人間と自然との間にデリケートな配慮や相互の倫理を必要とするプロセス概念であり、動き変化する。「カンガルー」と呼ばれるオーストラリア原住民はカンガルーの魂によってこの世界に生を受けたと感じ、「鷲族」の男はそのことを考える度に目つきまで鋭くなり、「狼と踊る男」は狼のように敏捷で賢くなる。そして、「熊」であり「楠」であると名つけられた紀州少年はその熊と楠を通して動物や植物の領域へ自分が開かれていくのを感じるだろう。トーテミズムは、パラノイアではなく人格の拡大を実現する・・と中沢氏は第1章から「自然と人間との不思議な絆」「宇宙的な生気論」としてトーテミズムを「熊楠」の名に結びつけた。私は「熊楠」の解釈に「狼と踊る男」を思い出したのだが・・、これは、まさに中沢節?らしい語り口、切り口のスタートだろう。

■トーテミズム的な人間の生は単一フォルムに納まらずいつも、自分の内奥に「創造的」な「流れるもの」の実在を感知しており、多様体にむかってみずからを開き、触れながら、一つのフォルムが固定するとすぐにヘテロな力が流入、別形態への変態をおこしていく。
このような生命のありかたは、近代社会の外側であり、このような全体性をかかえこんだ人間が例外者として市民社会の中でどのように自分を実現できるのか?中沢は熊楠の人生を三つの位相に分けた、海外の放浪時代の「空間移動」、那智の森への帰還での「沈潜」、市民社会の中での「運動を続けるマンダラ主体」の三つがそれである。若い熊楠がバガボンドとして地球上の驚くほどの距離を遊動し人格や知識を形成してゆく様は上記のサンフランシスコからミシガン、フロリダ、キューバ・・での山野を採集道具を手に渡歩く「実物の世界」を通じて行われたことが判る。自然との間で直接的な体験、見ることでエロティックな関係を「実物の世界」として体験したのだ。そして・・ロンドンでは一転して大英博物館での「書物の世界」での学問、知識の研究。そして、帰国後の那智の森での書物や知識から離れた孤独な山中での自然観察と採集、瞑想的な生活での沈潜。原生林の自然は複雑で柔軟な構造をもち、単層、単純なフォルムは存在しない。熊野の森は熱帯や亜熱帯と同じ生態系で重層的で複雑柔軟なネットワークの世界だ。
生気論としてのトーテミズムは那智の森や熱帯ジャングルの原生林のように、単純な因果関係の論理で語れない、複雑柔軟な「縁の論理」によって姿をあらわす。 「縁の論理」こそ、デカルト的な因果論理、要素還元的、分解的な近代科学手法、全体は部分に解体、再構築可能な機械論的な短絡、楽天思考ではなく多様体としての東洋哲理的な熊楠論理の象徴であった。

■「森のバロック」の中で中沢は語る。森はいっときも静止せず、「流れ」を感じさせてくれる。どこかで常に変化があり、波及したり調節されたりして何かを生み出し、創造的な流れ、命の動きを潜在させている。熊楠はこの「流れる本質」を真言密教の概念をかりて「大日如来」と呼ぼうとした。それは存在世界のマトリクスを意味し、たえまない創造と変化により、多様な世界をつくりだす「縁の論理」によっている。熊楠は那智の森の孤独な瞑想世界でその論理をユニークなマンダラの思想に昇華させ発達させたのだと。
ロンドン時代の熊楠は誇り高い東洋製のコンピュータのようなもので、空前の大移動を敢行し、多量の書物、知識を蓄積したが、その「多様性」と「流れ」をひとつに結ぶ契機、体験が欠けていた。その体験を与えてくれたものが那智の森だったのだと、中沢は語る。宇宙の真実を形作る多様と統一を結ぶもの、連続と非連続をつなぐもの、変化と創造を引き起こす力について熊楠は森で思考し、欠けていたモノを手に入れたのだ。

マンデルブロート集合

■あの時代、20世紀の幕開け。世界恐慌すら20年以上先の1903年に熊楠はロンドンから那智の森へ帰り、隠花植物、粘菌を相手に、マンダラのフラクタルな世界を思考していたのだ。未だ世界を破滅させる2度目の大戦も勃発しておらず、今日のようなグローバル化した金融資本が世界の市場を均質な競争原理や効率主義で席捲し、ITハイテクにより時間空間を矮小化もしていない長閑な?時代だ。
深刻な環境破壊、による土壌・水質汚染や大気汚染などの公害も発生しておらず、豊かな大自然の恵みと多様性の中で・・・当時最先端の西洋近代科学、哲学の直線的な因果論や事物を微細部分へ還元し組み立てる要素還元論、進化論・・などが「実物の世界」「自然界の多様性」をとても覆いきれず、全体は部分の総和以上のものを含んでいる、生命がその象徴であると、また、還元論の限界と論理破綻が視えていると、トーテミストの熊楠には判っていたのだ。まさに神仙の千里眼ではないか。世界の多様性をあるままに受け入れ、還元論から距離をおいて、部分と全体の整合性を西洋が思考したのは21世紀を目前にした1981年のライアル・ワトソンの「生命潮流」や、1983年アーサー・ケストラーの「ホロン革命」まで100年近くの時間を要している。
起きるべくして発生した環境自然破壊、公害を生命や自然との調和的な相互関係から、エコロギーなる表現で田辺,神島の植物環境保護を時の政府、行政へ訴え、その天然記念物指定を申請し、昔ながらの鎮守の杜、神社の木立空間が村里の森、自然環境を守る砦であることを念頭に、政府の伊勢神宮、明治神宮、靖国国家神道の推進のための地方神社合祀に反対意見を表明し、合祀反対運動を展開する熊楠。その先見性と知性、気概ある意思、行動力に驚き、ほんとうに敬服する。

■「森のバロック」で中沢は現代社会が、すでに空間移動としてとらえられた旅が不可能な、いたるところで同質、同一の経済、メディア、物質生活、同一の感情、思考に覆われてしまい、そこには熊楠の沈潜できた深い森も失われ、空間の外、深遠への入り口も閉鎖されつつあると言う。いま、世界の内臓はメディアと政治の明るい光の中に晒されており、生命は技術によって操作されはじめている。それは市民社会の果てを生きることでもある。あの、熊楠が市民として時代こそ違え自由な生を楽しむ事ができたのか?巨人はいつだって縛られるが市民社会の窮屈なフォルムを受け入れながらユニークな人生様式を熊楠はどうつくりあげ、マンダラを市民社会でも可能とさせたのか?曼荼羅は市民社会をどのように変容するのか?・・中沢はそれをポストモダンの主題のひとつだと言っている。
私の理解が誤っている可能性もあるが・・この読書感想の冒頭に掲げた、熊楠の日中事変から太平洋戦争、につながる当時の時局への感想や批評?が知りたいのは、生物学や民族学の熊楠ではなく南方マンダラ へ思想を昇華させた視点から、俗事たる世論、外交、戦争を語ってみて欲しかったのだ。・・・中沢はポストモダンの主題のひとつと言っているが、「一切衆生草木国土悉如来知恵徳相具有」:悉有仏性」・「万物我同根」・と釈尊の悟りの言葉を表面的に見るだけでは、この世界を理解し、人間の困難や愚かさを克服できない。仏教をはじめとする宗教が政治や外交、戦争の火種にはなってもこれを解決、救うまでには至らないのが愚かな人間の歴史のように見える。私は、南方マンダラが華厳思想を更に細分化しどのような論理で市民社会へ係わり、コミットし変容させるのか?世界を救済できるのか?を普通の市民の立場から・・問うているつもりなのだ。「森のバロック」でのこの問いへの中沢の解説:解を、更にさがしてみようと思う。


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