マトの 感想文・Book review-02

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「カルロス・カスタネダ」何者だったのか?島田裕巳著/刊行:2002/ちくま学芸文庫

「知者になる道」細川廣次著/1990徳間書店

「呪術師ドンフアンの教え」シリーズ
カルロスカスタネダ カルロスカスタネダ2


タイトル:呪術師と私・・ドンフアンの教え     刊行  :1972   タイトル:未知の次元・ナワールとは・第4作
     呪術の体験・・分離したリアリティー   刊行  :1973       出版社 :講談社
     呪師に成る・・イクストランへの道    刊行  :1974       刊行  :1979
タイトル 呪術の彼方へ・力の第二の環       刊行  :1978       訳者  :青木保監修・名谷一郎
          呪術と夢見・・イーグルの贈り物     刊行  :1982                                                       
          意識への回帰・内からの炎        刊行  :1985                                                       
          沈黙の力・・・意識の処女地       刊行  :1988                                                        
出版社 :二見書房     
訳者  :真崎義博     

 1998年4月27日にカルロス・カスタネダはカリフオルニア州ウエストウッドの自宅で肝臓ガンのため死去したという。彼が世に紹介されたのは1968年・UCLAで人類学を学ぶ 学生だった時のドクター論文だそうだ。

小生が彼の著作を読んだのは、先に記したチベットのモーツアルトでの紹介からで、1984年だった。「ドンフアンの教え」カスタネダの最初の著作がアメリカで刊行された16年後 の事になる。1968年は原子力空母・エンタープライズ横須賀寄港問題・東大闘争・三億円事件・・などの年だ。 60〜70年代の「ニューエイジ運動」のゴットファーザと称されたカルロス・カスタネダの著作シリーズと真木悠介氏の「気流の鳴る音」細川廣次氏の「知者になる道」、島田裕巳氏の 「カルロス・カスタネダ」や中沢新一氏の著作等と併せ読み「ドンフアンの教え」シリーズから教養体験としてものの見方他、多くを学んだ気がする。 それは2006年の今日でも近未来の困難さ、不透明さ、混沌の様相を増しつつある?この世界の解釈に充分有効な気がします。 (ここより読書感想2・寸評の続き)  8年前にカスタネダが死去し、ドンフアンの教えが刊行されてから、今年06年は34年になる。ベトナム戦争でアメリカが建国以来はじめての敗戦による終戦を迎え、反戦運動を 軸にヒッピーや帰国、退役した若者たちの既存秩序に対する反抗、カウンターカルチャーの新しい文化運動、あの時代、確かに高度に発展した市場主義・資本主義文化に対し、ベトナ ム反戦・・を象徴に世界中の若者が新しい何かを生み出そうとしていた。ピーターフォンダの映画・「イージーライダー」やジョーンバエズのフォークソングはそのポピュラーな象徴 として、日本の若者文化にも大きく影響を与えた。カスタネダは日本では若者文化の象徴ではなかったが、アメリカの若者達のかなりの階層では、ドラッグカルチャーや反抗文化のシンボルだったのだ。 全米で西海岸で、70年代、その影響下で、団塊を軸とする日米の若者達は、家庭を持ち、高度成長を駆け抜けた。カルロスを知らなくても、私達もそのひとりだった筈だ。 1・2次中東戦争や9・11、イラク中東戦争・・あの時代、反戦運動から起動した文化運動や既存秩序への批判的反抗から派生したカウンターカルチャーは何処へ消えてしまったのか。 ネオコンや富裕階級、一部のセレブリティー、取り巻きの追随カルチャーとマスコミなどの既得権階層の巧妙な仕掛けに、対抗カルチャーは吸収され、消滅させられ、その差異を 情報消費されてしまったように見える。インターネット・Web2の時代はどちらの側?に次のNEWカルチャーを育むのだろうか? そして今また再び、人工的に浪費・消費という自己増殖運動、有効需要創造?によってしか、維持できない拝金主義による環境破壊、紛争、戦争が計画され?・・・起爆されようと しているのではないか。それは見かけ、口先の「平和追求」や「議会制、民主主義実現」「人権擁護」の装いや看板とは裏腹に深く、確信犯のように、落ち着いて、静かに何かを企ん でいるように見えるは私だけだろうか?。既に信じられないことだが・・憲法9条の字句・文言を決定的に否定、曲解する自衛隊の海外派遣が既成事実化されている。 60年前に300万人以上の戦争犠牲を払って手に入れた平和憲法を改変しようと準備されている。彼等の精神衛生上の快適な派兵、権益の確保のためにそれはなされるのか。  その象徴的な事例を、カスタネダの読書感想に繋げるイントロダクションとして米国と日本で2件、取り上げてみよう。 ■今、アメリカで、移民法改正?に反対するヒスパニックを中心とした大きな運動が起こっている。「アメリカを引き裂く移民問題」/ 桑原靖夫氏Blog/にこの、問題の深刻さ、根深さが氏の労働問題の専門から語られている。つい1ヶ月前に、ようやく終結?したフランス全土での若者達による雇用問題、解雇権 に対する反対運動も、移民法の根底にある労働、雇用・貧困・富と資源、生存権、人権、格差、分配の公平さ既得権益の開放フェアな競争、公益と私利等の根源問題に結びついている。 世界中で持たざるもの、が自己の権利と置かれた不当な立場から抜け出すべく、行動を起こしつつある。情報ITの進化により相対的な自己把握が他国、他民族と急速に可能となり、 ある意味で、持てる者、国への妬み、嫉妬が世界中に加速蔓延しつつあるのだ。 持てない者、国との国境を1120Kmにも渡り陸続きで接触するアメリカ、不法移民の数は1800万人と推測されカリフォルニア州からニューメキシコ州、アリゾナ州、テキサス州まで 不法越境地域は拡大。米政府は各州兵を国境に配備している状況らしい。 何かにつけて人類の象徴課題が顕在化するのがアメリカだ。今や、全人口の30%を超える非白人系移民の選挙権を無視することは議会制民主主義の人道モデル国家としてメンツがあり 、その対応が世界の注視を浴びている。あの70年代にカウンターカルチャーのメッカだったニューメキシコ州とメキシコ国境地帯に居留していた、ネイティブインデアンのヤキ族 の呪術師シャーマン・メディスンマンである?「ドンフアン」だったら、この事態をどう見るのだろうか?。 「ファンマトウス」というのがドンフアンの名前だと言う説もあるそうだが、UCLAの大学院で人類学を専攻していたカスタネダが1960年にアリゾナ州ノガレスのグレーハウンド・ バスステーションでドン・フアンに出会い彼のもとで、呪術師の修行が人類学フィールドワークと一体となって行われ始めた頃、彼カスタネダは24歳、ドンフアンは60〜70歳の呪術師 だった?という。カルロス・カスタネダがメキシコのソノラ砂漠でドンフアンと会い、最初ドンフアンの親族関係を聞いてみたが、答えは「わしには履歴なぞないんだ」だったそうだ。  今から、44年前、メキシコ・アメリカ国境では今日のような移民問題は先鋭化していなかったのだろうか?もちろん、ドンフアンも定職・収入を得る手段はなく当然「履歴」は 不要・と言うことなのか?砂漠に自生する薬草やサボテンを売って生計をたてていたのだろうか。GNPの差では現在のアメリカとメキシコの差の数倍以上の開き貧富差があった筈だ。 ドンフアンは両親の名前すら教えず、「履歴などそれが必要ないとわかったので、飲酒の習慣と同様に捨ててしまったという。ましてやソノラインディアンはそのメキシコの中でも 被差別マイノリティーネイティブだったろう、二重に疎外された立場から履歴などという彼方の象徴が彼等に力を与えはしないのは当然のように思える。 また、どうやって履歴を捨てるのか?と聞くと、「まず最初に、履歴を捨てるという欲望を持たなければならない」と答え「履歴になるのは他人が自分がヤキ族の人間である・・ ということを知った時に履歴ができる。自分自身がヤキ族の人間であるという事実が履歴をつくるのではない」と言った。 「自分が、自分のしていることを他人に語る知らせる事で履歴を更新、作っている。履歴がなければ更新説明など不要だ、すべての履歴を消すことがもっとも良い事で、それは他人 の邪魔な考えから自分を解放してくれる。ものごとを当然視せず何事も当たり前でなくなるまで、自分の周囲に霧を作り出しあるものを消していく。自分がしていることを明かさず、 自分を知っている人間から離れていけ」とドンフアンはいった。 人類史始まって以来の情報の爆発・共有化。IT・インターネットの普及浸透によるネット社会・世界がリアルな現実社会との間で、Web2に言われるような情報、コミュニケーション のオープンソース化と大量の善意の「個」・人の価値を集積するマス・コラボレーションを可能とし、ネット上に蓄積された「富/情報」の再配分を既成の枠組みを超えて開放する。 ウエッブ時代の総表現社会・・・は硬直した既成社会を解体構築する契機になるのだろうか?ブログ・RSS・SNS・が既成のエスタブリッシュメントの装置として取り込み操作 されるようなら・ドンフアンの言うように、人脈・金脈・知恵を・既成の「履歴」装置に渡さず/グローバリズムの資本競争原理から「見えない、判らない現場」でアナログする事が 一番戦略的で、生き残るための契機となるのかもしれない。 「履歴」を消す。これほど、強烈なカウンターカルチャーの表現があるだろうか?あなたが就職に当たって、履歴書不要と言われたらどうする「当たり前の向こう」からの問いですね。 既得権益社会のルールに乗らない、拒否する。自己のアイデンティティーを決めるのは自分自身だ・と言う事か?ネイティブの賢い生きる、意欲を維持する、自尊心を維持?子孫を残 す知恵だったのだろうか。今の日本にその背骨はあるのだろうか?それは武士は食わねど・・の高潔さに通ずるような気もします。 また、イニシエーションと言えばネイティブイインディアンの若者がその社会の構成員として迎え入れられるための通過儀礼でオームの用語ではないが、不思議な事に部族社会で、 他人と付き合うための試験が、いかに「孤独」の恐怖に耐えられるか?のレッスンなのだ。今日のニート引きこもりはそういう血縁部族社会が失ってしまった通過儀礼の自らの再構築 なのかもしれない、そうポジティブに彼等ニートを観る事もできないのが今日の日本だ。 一番大切なのは社会との協調性と他人の眼、そして常にお友達の中にいる事が常識ですか?世界の偉大な発明発見、文芸は「孤独を母」として「個人」から生まれていますね・・ ダビンチやエジソンの「お友達?親友?」知っていますか?。 付き合いの悪い引きこもりはダメなどという・多様性?を否定する、単純な勝ち負け?レッテルが常識?のジョージオーエル流、低俗、監視社会になりつつあるのではないでしょうか。 呪術師になるのだから・・この世界の記録、履歴など当然不要だが、「当然・当たり前」だと思い込んでいる既成事実?に対する、強烈な一撃を加え、現実を多面的に相対視する方法 としては、斬新な考え方なのでしょう。縄文時代の祖先から声を掛けられた感覚ですね。  ナパーム弾で焼き払われたメコン川のジャングルやダナンの旧米軍基地、未だ飛び交うF4ファントム戦闘機・B52戦略爆撃機・枯葉剤の散布で遺伝障害の続発ベトナム戦争の戦禍 で硝煙が未だ漂い、日本が大阪万国博覧会で賑わい新幹線の走る1970年、ドンフアンとカスタネダは現実にこの世界カリフォルニアの砂漠で呪術の修行を続けていたのだろうか? そして、1986年、「ドンフアンの教え」をはじめて読んでから2年後、私は冒頭のドンフアンシリーズを既に5冊ほど読み終えていた、シーリーズの次の出版が待ち遠しく、このような 本と著者、読書体験を持ったことは過去にはなかった。 85年はまさに日本中がバブル景気のピークへ向かう前年で、日米貿易摩擦からプラザ合意がなされ金利の大幅引き下げ内需拡大・不動産の暴騰インフレ好景気という「Japan as No1!」 の時代だった。91年にピークを転落し・・失われた10年のバブル崩壊が始まるのだが、バブル前あの時ドンフアンシリーズの2冊目「分離したリアリティー」の中で、ドンフアンが 修行において強調した「観る」こと、が強く印象に残っている。「look」と「see」の区別がそれだが・・ 世界を知覚する上で、慣れている通常の方法で知覚するのが「looking」であり、「seeing」は知あるものが世界の物事の「本質」を知覚する複雑な過程であると、ドンフアンは言う。  それは「世界を止める」ことに共通する知覚したものを、既知のものに自動的に結びつけて物事を解釈する、分類し言葉で語ることを「しない/止める」ことでseeingできるという。 受験生が暗記するすべてを分類し判断するあの世界とは「逆」が「seeing」だ。「木」を見るとき光に当たったきらめく緑の葉や幹を木としてカメラのようにlookせず、例えば、 その木の木陰、暗い闇の部分だけを薄く眼を開いて凝視する、すると・・・・。カスタネダの著作はUCLAで人類学のエスノメソドロジー研究でガーフィンケルが、現実は相互主観 で構成されている、と語り「ガーフィンケルする」という言葉が流行したのも「既成世界に破れ目」をつくるseeingの実践であったようだ。廣松渉氏の「世界の共同主観的存在構造」 や、レビーストロース・ソシュール・エーコの記号論、や龍樹の「中観仏教論」に共通する世界だろうか。 それは、この社会の共同主観で構成された知覚・存在を、また記号シニフィアンと記号内容シニフィエを繋ぐコード・コンテクストを「しないこと/seeing」で解体するの事なのだ。 87年のブラックマンデーの株、暴落。88年の金融引き締め、89年株価急落・・・と日本経済は坂を転げ落ちていく、私はこの現実に何も観えずただ眺め、lookingていたのだ 当時の私には、ドンフアンはこの世界に実在するであろう、憧れの師「グル」だった。 中沢新一氏がチベットで「ケツン・リンポチェ」の下修行を実践した事に憧れと尊敬の念をこの頃抱いていたのを覚えている。 そして、 中沢氏の「虹の階梯」チベット密教の瞑想修行/1986平河出版を読み、深く感銘したものだ。また、できる事なら、アリゾナ砂漠のネイティブ居留地へ行き、 シャーマンと共に乾いた大気と澄んだ青空の下で、風の音を聞きたい・・などと真面目に夢想?をしていたのもこの頃だった。85年に偶然、社用でロサンゼルスへ出張し砂漠地帯の デスバレーのショッピング・センターで買った白亜紀?の魚の化石が今でも、この頃の唯一の私のドンフアンへの憧れのメモリアルになっている。

carlos castaneda

白亜紀魚化

■二つ目が、今日本で、教育基本法の改正が国会議論されており、「愛国心」が改めて論点となっている事だ。「日の丸」「君が代」をシンボルに忠誠を促し愛国心のないものは日本 を出て行け!」などとTVで言う政治評論家まで・・与野党・左右?のエキセントリックな議論もされている。国家や自治体などの行政、教育機関で上位下達方式で「愛国心」 なるものが涵養されるものなのだろうか? 抽象的な宣伝用語で愛国心を鼓舞、強要され多数の国民が戦禍の犠牲となってから未だ60年だ。今や多民族国家となったアメリカではどうなのか判らないが、私の好きな 写真家で作家の藤原 新也氏が朝日新聞の時流自論で語っている。愛国心は抽象思考で生まれず、親子兄弟、隣人間など身近な愛情の相互補完の土壌の 中に芽吹くもので、世界の愛国心の強い国には親類縁者近隣のきずなが強い特徴がある。 国家のこうした最小単位が脆弱化している国の国民が愛国心が強いということはあり得ない。愛とは他者との相互関係であり、愛国・・民が国を愛すること は、国が民を愛することとの相応関係でなければならない。今、国・・行政・・は国民、民、若者、弱者を愛しているのだろうか?(/朝日新聞の時流自論) 西部劇で騎兵隊とインディアンの古典的なシナリオで映画がハリウッドで撮られていた時代は、騎兵隊は白人(一部黒人)だけで常に構成されていた。 ネイティブインディアンのプエブロやアパッチ族は血縁・地縁で団結力があり・国家はなくも、愛族心?は非常に強かった。 同じ武器を使用していれば今日の世界は変わっていたかもしれない。世界中がグローバリズムの影響で、ボーダレスに人・物・金・情報が交流し、世界が一つの連邦・国家として 本来の他民族、一蓮托生の時代こそ・・国境の向こう側の他者との相互関係をSeeingすることで、かって人類がその歴史上経験することができなかった「超:メタ・愛国心」を育めないのだろうか? 「愛国心」とは?多民族国家間の世界でそれが成り立つには、何かがある筈であり、それはこの世界への普遍性を持っているのだろうか・・。 「国」を支える背後にあるもの?それが何なのか。オルタナティブや議会制民主主義で、潜在する多様な世界や救いきれないマグマはどうなるのだろうか。 繁栄の表面からは見えない背後の巨大な貧富格差と、愛国心を装置として私利エゴに利用する巨大権力の存在と矛盾・・。  呪術師ドンフアンに修行を受け人類学者として、その体験フィールドノートを呪術師ドンフアンの教えシリーズの著者、カルロス・カスタネダは生年月日やひょっとすると享年すら不確かだ。 実在したことは確かだが・・62歳で亡くなっのか72歳なのか?生まれた国はブラジル?(サンパウロ生まれ、本人談)ペルー?(移民登録では)かも正確には不明? 兵役問題で年齢を偽っていたかもしれない。 そして「履歴」を消して世界を止めろ、と言ったあのドンフアンもヤキ族のインディアン以外は不明のまま、実在したのか否かも判らない。  私は未だにこの歳でドンフアンの教えすら理解・実践できず、ドンフアンの言う履歴を消す事と同様に「自尊心プライド」をなくすことなど、到底不可能でありそれが感情で理性や 知を踏みにじり、非論理的な行動すら起こすのを判っていても止められない。履歴という「他者評価の鏡」なしに、自己アイデンティティーなど確立できるのか、想像すらできない。 人間は逆境や貧困、長い孤独に晒されると自尊心が更に顕わになり、無意識のうちに自尊心が生きる支えとなるそうだ、唯我独尊で傲慢なエゴイスト/頑固な老人になるという事だろう。 自分が、ドンフアンに程遠い、惨めな自尊心にすがりつく姿を想像すると大きな恐怖を感ずる。 確かに生きる「力」を自尊心は与えてくれもするが、それを理性や論理のコントロール下に置く事はむずかしい。 60年前の戦争や人類の戦いの歴史は多くがこの自尊心を犯された事に起因する非理性的な暴発ではなかったのでしょうか? それが人類を進歩、向上させてくれる原動力や「力」を貸してくれるものであることは確かだが・一方で多くの犠牲を強いる「良く効く副作用の強いドラッグ」のようなものだ と、(「知者になる道」/徳間書店の中で)細川廣次氏はいっている。 むき出しのそれが格闘技で「プライド」と呼ばれ人気があるのも自尊心の本質を突いている。 ドンフアンのように、自尊心をすてる?コントロールできれば?人は本当の知者の「力」を身に付けられ、長年の人類の願いである戦争放棄も実現するのかもしれません・・・・。   ■最後に突然、手前勝手で恐縮ですが・実践どころか理解すら不完全のまま感想文などと構えて書きはじめ、それが大変おこがましい、不遜な試みだったことをこの段になりようやく 気が付きました。大変恥ずかしいのですが、近いうちに再度ドンフアンを書くことにして、感想文ページの最後をドンフアンの言葉と、スー族の神話を記して、ここで終りと致します。

終焉の夜、スー族のシャーマン? ■ドンフアンの言葉:自尊心をなくす。              「お前が、自分が世界で一番大事なものだなどと思っとる限り、周りの世界を本当に理解することはできん」とドンフアンがいった。    「お前は目隠しされた馬みたいなもんだ。あらゆるものから切り離された自分しか見えんのだ」                                         *「イクストランへの道 刊行:1974」より

■オグララ・スー族の神話  時の始め、大水があふれるのを防ぐために1頭のバッファローが西の果てに置かれた。    このバッファローは年に1本ずつ毛を失い、1時代に1本ずつ脚を失う。    すべての毛と脚がなくなると、大水があふれだし、世界は終焉を迎える。    いま、このバッファローは1本脚で立ち、ほとんど丸裸になっているという。                                                                                *ホピ・宇宙からの予言 より *By/m-Amato/060519

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