マトの 感想文・Book review-01

トップページへ □TOPページへ。<独断寸評>の続きが・・・この「Bookreview」です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・禁転載・[更新:05/10/01]

05-10-001「アース・ダイバー」 「緑の資本論」

「アース・ダイバー」著者:中沢新一 ・出版社:講談社・出版日:05/5/30 第1刷発行 「緑の資本論」著者:中沢新一・出版社:集英社・出版日:02/5/10 第1刷発行

・・・・より<寸評>の続きです・・

中沢氏の本を最初に手に取ってから21年になる。それは、1984年3月第1版6刷の、せりか書房・「チベットのモーツアルト」を 八重洲BOOKCenterで買ったのが最初の著者・著作との出会いでした。ロマンティックなその本の「題」に惹かれたのです。 翌85年は、円高ドル安のプラザ合意がG5でなされ、日本が戦後体制・終了の通過儀礼を行った年であり、翌年からのバブルに火を付ける前年でもあったが、 私にとっても人生節目の出来事多発の年であった。 また、浅田彰氏の、せりか書房「構造と力」・筑摩書房、「逃走論」など、 現代思想の最前線を、「スキゾフレニック」・「構造主義から脱構築・解体構築」などの言葉とともに、「ストロース・・・ポランニー・フーコ・デリダ・ドウールーズ」 など、現代思想家の存在を知った年でもあった。 学生時代や、ビジネス・実業の世界とは違う新鮮な知的世界に興奮した記憶がある。この年、中沢新一34歳。浅田彰27歳。

「チベットのモーツアルト」とは中沢によれば、 ジュリア・クリステバが伝統的な意味の構造を微分差異化し ・・その記号の解体などをエレガントなモーツアルト の音楽やチベット仏教の声明音楽の中に象徴的に見出し、意味の無限化、 多様な官能や身体へと運動させて行く様を「チベットのモーツアルト」 と彼女の論文で表現した。それを中沢が、ネパールで密教僧として追体験し、執筆の世界で この本のタイトルに使用したのだそうです。

そして何よりも出会いを感謝するなら、この本を通じて、更に・・「カルロス・カスタネダ:ドンフアン」 を知った事である。その本の冒頭の1に、「孤独な鳥の条件・・・カスタネダ論」があったのだ。"Castaneda,Carlos.Who?" それは、私の人生での大きな知的刺激を受けた年でした。 また、この本で私は素敵な「瞑想」:ゾクチェン=アティヨーガの話や、チベット密教の世界を知った。 ヒマラヤの天空に架かる「虹」を観た思いだ。二冊目の彼の著作・「虹の階梯」で更にその深みに 魅せられると同時に、わが国の・真言密教の世界・曼荼羅にも眼を向けさせられた。 異世界の存在、拡張する自我、視界?を得る貴重な教養体験だった。

ホントウに理解しているか否は確かめる相手がなく、今でも不安だが、私は 著者:中沢新一氏のフアン?なのだろう。学生時代に鎌倉円覚寺で、座禅を組み、初めて 体験した、あの「竹林の風と光」に匹敵する。・・・・と言えば大げさか?、5月の陽光に煌く竹の若葉の色。 風にそれが揺れる様に一瞬だが、「"あれ」を感じたのだ。精進料理と読経・座禅の日々がそれを可能にしたのだと思う。 もう、30年以上もあの感覚から、疎外された暮らしをしているのですが・・・

竹林の光と風

3年ぶりに中沢氏の著作アースダイバーを書店丸善で手にしたと時、「ヤラレタ?」と思った。 おこがましい話だが、小生が立ち上げようとしているHPのkey-Contentsの一つ が、縄文海進期の中期〜後期縄文時代・・BC4000〜1000の関東洪積台地と沖積平野、 海岸の風景のImaging・・画像加工だったからだ。このHPの (Galleryを見てください) 表紙に書かれている「縄文」の文字にはいささか、小生もこだわりがあり、小学生の 原体験:貝塚の発掘経験・・etc/から、縄文土器・貝塚・との係わりが私にはあったのです。時代の無意識・共同主観?・・・は時として「シンクロニシティー」と呼ばれる共鳴 現象を生むのでしょうか?同じ時期、同じ事を考える、観る?人間が同時発生するのでしょう。

今でも、私は小学生時代に発掘した貝塚からの縄文中期〜後期の土器・石斧・を所有して いる。BC10000年から1万年?の間続いたと言われる縄文時代、ウルム氷河期が終わり、 海進が始まり温暖で湿潤な気候に恵まれた?狩猟採集の縄文人の世界は、誰でも、夢を 誘われる世界だ。日本人にとって、無意識の深みに「縄文」の世界がその縄目のように DNAのごとく捻り込まれ、何かをトリガーにデジャビュとしてだれにでも顕現する。 夏・川原のキャンプ・海での磯遊び・林間学校でのキャンプファイアー・・秋の栗拾い・・そこに 縄文が息づいている。その時代は平均寿命40歳?たらずで、ある意味で過酷な世界であろう、という事も判っているのですが・・。

アースダイバーはしかし、そういう、一般的・陳腐な考古学的、文化人類学的?側面や 歴史散歩や都市計画、東京論・・を語る写真エッセイではありません。 中沢ワールドの21年間?の集積・視点が、切り通し道の側面の地層模様のようにアース・ダイビング する彼の軌跡を語っています。 中沢は一時期、オーム真理教の理解者?などと誤解を受けたこともあったが、今、彼の時代を見据える視点は冷静で、 鋭く、思想家・人類学者としての見識・視点を明確にしています。 その目線は、今や全地球を、その市場主義・合理的経済原則・競争原理で自己システムとして 機能・制御している「グローバル資本主義」が、実はユダヤ教に始まるキリスト一神教の本質プログラムの実行結果で、 世界の記号論的、構造論的な意味・価値の統一を前提する事によって、それが強要されていると言う認識であり、その グローバリズムの装置が多様な、泥臭い「無意識」の介入や「人間の心」を抑圧することでキリスト教的、単一文明を世界に蔓延させてきたことへの告発であり、 また、その弊害からの「脱グローバルの視線」なのです。

グローバル化した資本・市場主義は、ある意味でM・フーコの巧妙に仕組まれた経済効率優先の「監視塔」の世界だ。それはあのヒット映画「指輪物語の・・王の帰還」にあるパノプティコンとしての「眼」であり、 単一構造・文明、自然の一方的収奪を強要する囚人・市場社会の監視塔:シンボルでもある。 あの、NY:9・11の出来事はそうしたコンピュータ管理・監視のグローバル資本主義経済社への無意識からの反逆と捉える。 ブッシュが「文明に対する攻撃」と述べたあの「新しい戦争」は「野蛮から文明を守る」戦いなのか?それとも、欧米型グローバル文明?に対するイスラーム文明の 戦いなのか?・・・・・・多極文明?文化?からの警鐘なのか?・・・アースダイバーの中で、彼は文明・文化論としてはこれを捉えていない。

しからば、その対極にある、縄文無意識・アニミズム・多神教的な社会たるもの・・こそ、ハイパー資本主義の大東京の深層に、無意識として また地政学・地理学的・事実として検証してみようと言うのが「アースダイバー」でもある。洪積台地と沖積平野・・・その今日的現状景観と縄文期の海進風景・・ 新宿、都庁の高層ビルが縄文洪積台地上にあり、歌舞伎町や池袋繁華街は、沖積平野の低地にあること、その地勢学・文化人類学的説明をいささか、 鼻に付くが彼はその著作で写真と共に行う。

余談だが・気になるのは、地震研究所の発表で神戸震災も・・関東大震災も死者の分布、ハザードマップが見事に、この沖積平野・湿地・低地帯に重なって いることだ。・・・山の手・・・下町・・・ここでも資本の論理が・・か。

また、自壊しつつあるかの観を呈する「キリスト教的一神教世界観・単一文化世界」への「解毒剤」として、敗戦ショックから?の科学的??市場原則、効率競争原理、そして装置としての民主主義への無条件信奉を、21Cの縄文多神教世界観?「天皇制」 が、超越的な格差是正装置、脱市場装置、強制格差是正機能、超公益・自然回復機能??として、更に、権力やお金によって人を縛るものから自由になれる「超越・倫理空間:アジール」として、世界を覆いつくす、科学的?グローバリズムに対する対案として、 21Cの新たな世界に通用する「天皇制:(女帝?でも良い・・)」「真の共同体の象徴」「アジール」として、この閉塞地球の世界に機能するのではないか?と彼は希望的に語っているのではないか。

1929年の浜口内閣当時の2・26事件・昭和大恐慌・・「皇道派」青年将校の 天皇への直訴と「アジールとしての21Cの天皇制?」の何が異なり・・どう変容し緻密になっていくのか?、45年(1970)に市谷で腹を切った三島の世界とどう違うのでしょうか? 多様性を、無意識の深み、人間の心を、「その象徴」を支えるシステムとして、どうグローバリズム・に対峙させていくのか? 公益・自然?と利己・市場・都市のバランスなどと、陳腐な表現はしたくないが・・宗教学者・文化人類学者・現代思想家として・・Fフクヤマの「歴史の終わり」ハンチントン「文明の衝突」に も答えて欲しいものです・・ゾクチェンの手法ではなく?メジャーな社会科学者?と敢えて、係わるべきでしょう。

■同じ視点から?・敢えてその「答えを暗示」しているのがこれも昨年、久ぶりに読んだ彼の著作「緑の資本論」である。キリスト教的単一文化・市場経済・資本グローバリズムは モノ・・「商品」を軸にした等価交換を「貨幣」の働きで同一性、増殖性を維持するシステムである。(世界がバーチャル化し、市場経済・資本の自己目的化した利潤追求が、あらゆるものを「商品化」という 等価交換システムで強制し、記号化した見かけ上の等価を支える「浮遊シニフィアン=記号表現=貨幣」を生み出す。シニフィエたる現実・リアルは浮遊したシニフィアンとの繋がりを 失い無意味化する・・[資本主義は必然的にバーチャル化する]

過剰な意味をまとった水増し効果は貨幣による剰余価値を生み出し、グローバルなバーチャル世界が誕生する。 更に、浮遊するシニフィアンは愛や欲望の想像界と結びつき、全ての芸術や詩、美的創造物が商品化されていく。 イスラームは一神教純正の論理、タウヒードにより、この象徴界(記号表現=シニフィアン)と現実世界(シニフィエ=記号内容)を直接的に結びつけ、シニフィアンの戯れ、浮遊を許さない。 アッラーのイスラム「文化」は世界がバーチャル化することを許さないのだ。 イスラームは利子・利潤が生み出す豊かな資本主義社会?を拒否しても、タウヒードの意味に満たされた世界を選択する。イスラム社会、銀行には利子というものが存在/機能・・・・しないと言う。

"アッラーホ、アクバル:神は偉大なり"・・・とは?その合言葉なのでしょうか。

資本論の記号「商品」とリアル・現実が分離せず、贈与の空間が機能していた頃の?「モノ」・「タマ」・「ハウ」・「サチ」・・・その「モノ」との新しい同盟・創造が今、必要だ、 と、彼は解決方向を暗示する。それは、"イスラームのタウヒードの世界でも、キリスト一神教の世界でもないのです。" グローバル化した資本の自己増殖システムの外へ、「モノ」・・ギリシャ人のピュシスのような、霊力と聖霊とも呼んだ内包力などが、混ざり合い、 複雑な全体運動をおこなっている・・・そういう「モノ」との間に新しい関係を結び直す。 「タマ・・・心?」と「モノ」の間の差異は内包強度と技術との繊細な関係が反映される。

シャーマニズムの洗練された瞑想の体系、技術はモノ・・・超常的・サムシンググレート・・がどのような力能を持ち、運動をその内在空間で繰り広げているのか観察 できるようになってきた?(私見では、素粒子物理学の最前線と認識方向が似ているが) その結果は・・・「神は存在しない」であった! キリスト一神教的、資本グローバリズム・民主主義文明?の側でもなく?・・・イスラーム、その他多極文明?文化の側でもない?曖昧?モコ・・としたピュシス的世界??

ニーチェのあの、結論と同じである。超越としてのsomething great:「神」は存在せず、ただ、永遠回帰する「モノ=宇宙・素粒子」だけが「そこ」ある・・・。 その結果、宗教は・・「モノとの新しい同盟」を作り上げるべく吸収解体されると、彼は言う。 個人の探求・市民運動・NPO・NGO・伝承文化運動・・共通点は、非人格的「モノ=神」への愛、ヒューマニズムや資本のメカニズムを凌駕し、”広々とした 「モノ」の領域”へと踏み込んでいく。逆説的だがそのとき、”宗教:仏陀”は蘇る・「緑の資本論」たる、「モノ=宇宙・素粒子」との再契約・これが中沢の結論ではないだろうか。

★オカルト好きの「トンデモ世界」からの誤解を受ける覚悟で、直感的なひらめきを言えば、Mr◎◎やユリゲラー?・・・などの一部の超マジシャン?や・超能力者?の世界には既に、 この精妙なる「モノ」との交換・トランザクション・交渉が、<密かに成立>している気がするのだが・・・・・(苦笑!)。 ひょっとすると、「1神教のキリスト教・スラム教」の神は我々、多神教?の日本人が超常的な原点として捕らえる「神:仏性」ではなく、もっと「近く」にいる「何か?別もの」なのかもしれない。 当然だが、エンターテイナーの彼等マジシャンや超能力者からは、脱グローバルなデフレ経済対策や新しい経済理論・地域紛争解決・環境問題など、人類の・難問対策は出てこない・・。

「そして、「現実のリアル」な日々を暮らす普通の人々が、「資本のグローバル運動」に対して、「モノ」・・たる「もの」が「脱グローバルへの鍵」として 「一般の読者に理解できる?判るのだろうか・・・・」と疑問を感ずるのは私たち庶民の正直な感想だ。

それでも、俗人的、人格神が「モノ」の時代から、素粒子物理、クオークの量子力学的認識にシンクロしているのは 時代の「暗黙智」でもあろう。彼が、それを利用しているのは当然だ。既存の社会科学・自然科学・・の分類、記号的、学際構造を横断して、 「複雑カオス」の現実への更なる「モノ」を射程に置いた、挑戦する彼に期待しようと思います・・・?。 F・W・ニーチェの「アンチクリスト」を今読み直しているところですが・・・どこでクロスするのか?楽しみです。

また、敢えて希望を言えば、経済学者の佐和隆光氏・金子勝氏、哲学者、梅原猛氏。また岩井克人氏や佐伯啓思氏などと、文化・文明論や「経済学」「資本論」の「商品・モノ」考察で、 浮遊するシニフィアン:象徴交換を科学する対象に、対話などして欲しい。・・・宗教学、現代思想・文化人類学・の学際?こそ超えるべきだと思いますが。 サンタフェ研究所のメンバーにこの社会科学?「モノ」を複雑系として、研究を依頼するか??迂回再生産かな(・・・もう既にやっている?) 万人が世界を「所有?する意味」・・それが、共有財産の大地・地球を共に生きるという、われわれ「モンゴロイド」の所有の知恵:伝統的・暗黙智?のままではなく(あの排他的なキリスト一神教的「所有/自尊心」の真の「解体・構築」)その顕在化・論理化 こそ、が浮遊シニフィアンである「共同主観構造」の解体:「緑の資本論」のサイエンス化・・要素還元化?だと思うのです。

★これはまた、「人工生命・セルオートマトン」や「カオス・フラクタル」など複雑系の理論や脳科学・・からも語られるべきなのかもしれません・・

かくして、「アース・ダイバー」での主要テーマである、ハイパー資本主義の都・東京への、縄文からの”眼差し”象徴の「モノ」「タマ」は 「脱グローバリズム」をテーマに「緑の資本論」と両輪であり、また彼の其の他、著作とも通底している事が”視えてくる。彼もまたニーチェの俗人的キリスト:「神」が「死んだ」 と宗教学者としてもそれ、を明言しています。・・・さて、次の展開は? 素粒子、「それ」・・・「モノ」が位置と運動量の両方を同時に測定できない、永遠の不確定性理論のまま・・ (カルロス・カスタネダの「ドンフアンの行方!」のように)・・・「ナワール?の世界」へ”消えないで欲しい”と切に願っているのですが。・・・

■最後に今、ホントウニ、大切な事・・・それは、誰も問わなかった・・・それって何?「What?」・・をリセットすることだと思うのですが・(^o^)。

2005/09/29・m Amato:最後まで「読書感想」をお読みいただき有難うございます。:「ご意見はBBS」へ! トップページへ

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